プルメリアバードのブログをお読みくださいまして、ありがとうございます^^
しばらくブログが書けなかったのですが、やっとエンジンが掛かってきました。
ムラのある投稿で申し訳ありませんが、お付き合いください<m(__)m>
【受け入れてくれという「欲望」は辛さを呼ぶ】
人は誰も、自分を受け入れられて生きていたいものです。
赤ちゃんの時から、受け入れられていなければ、生きていられないから。
だから、誰もが自分をわかってほしいと思うし、
理解してほしいし、受け入れてほしいと思います。
それはきっと、人間として自然な感情です。
ただ、それが『欲望』に変わるまでは。
小さい時から20代前半あたりまでに、
自分が何の掛け値もなく誰かに受け入れられた、という実感を持てなかった人は、
受け入れてほしいという気持ちを欲望化するように思います。
そこからの年齢は、
受け入れてもらうよりも、受け入れる側に立場が変わっていくからです。
歳は取っていくけれど、受け入れてもらいたい気持ちは変わらない。
なので、
受け入れていくれない人や、環境や、社会に対して憤ります。
それは、
ただ単に、「私を受け入れて、愛して!」というシンプルなものであるはずなのに、
尾ひれ背びれがついて、周囲の人や世間が悪いという事になってしまう。
それがどういう形をとるのかは、人によって違います。
大人になると欲望は社会性を帯びるからです。
直接的に、好きな人の気を引くために手首を切るのかもしれないし、
寄ってきた人を手玉に取るのかもしれないし、
誰かをいじめるかもしれないし、
ワーカホリックに仕事に没頭するかもしれないし、
社会運動という形をとるかもしれない。
でもどの形をとっても、その根底に流れているのは「辛さ」です。
辛い。
私は辛い。
受け入れられず、理解されない自分のこの状態が辛い。
私はここにいる。
どんな形であろうと生きている。
私のこのままのどこがいけないんだ。
私をわかって。
理解して。
受け入れて。
ほんの少しでいいから。
…誰かを、何かを責めるのではなく、
ただただそう思っている自分に気づけたら、
きっと見える景色が変わっていきます。
自分以外を責め、外界を敵をみなしている限り、
あなたを受け入れる人が表れにくい状況を作っているのですから。
孤独の辛さから抜け出す一つの鍵は、
そんな自分を認める素直さです。
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