プルメリアバードのブログをお読みくださいまして、ありがとうございます。
食欲の秋ですね!
栗もサツマイモも梨も柿も葡萄も…
と考えただけで嬉しい気分になります。
誰を信じるか。
その人をどう思うのか。
もちろん人によって違いますし、
その内容によっても選択の方法が違うかと思います。
今回は人について考えてみたいと思います。
まず信じる前に、この人がどのような人か?を判断されると思うのですが、
その材料はどんなものですか?
- たたずまいや雰囲気
- 表情
- 話や文章の内容
- 周りの評判
- 噂話
- その人の業績や肩書
・・・数えれば切りがありませんが、
案外私たちは4,5…6辺りで決めていないでしょうか。
知り合いの人が「この人こういう人らしいよ」みたいなのを聞くと、
「へーそうなんだー」と
それだけで見ず知らずのその人を決めてしまう。
よーくよく考えたら、相当おかしな話です。
何故なら、
人間関係は、その人同士で起きることであって、
AさんとBさんが反りが合わなくても、
AさんとCさん、BさんとCさんは快適な関係性を保てるという事はあるからです。
性格が合わない、という事もあるでしょうが、
人によって大切にしているものが少しずつ違うので、
AさんがBさんの悪口を言っていても、
それがCさんに当てはまるかどうかは別の話です。
関係性は、実は個々人で違うものです。
その人がすべて悪!とか善!とかはあり得ないわけですが、
どうしてもそこに「Aさんががそう言っているから」とか
が入ってくるので、バイアスも入るし、
その後の人間関係とか色々と考えると…というのもあるんだと思います。
その人が他者をどのように判断するかというのは、
その人がが物事をどう見ているか、見たいのか、ということの
判断ツールになる気がします。
私は、その人自身がどうであるかを判断するのは、
できるだけ自分の目と心でやりたいなと思っています。
それでもし人間関係で傷ついたとしても、
その選択は自分のやったことですから、責任も取れる。
人間関係も、誰かがこう言ってるとか、グループ内でこうだとかではなく、
自分で判断して選択することをしていけたら、もっと風通しがよくなる気がします。
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