ごまかし、が行きつくところ

 

プルメリアバードのブログにお越しくださいまして、ありがとうございます☆彡

 

今日もお天気良かった広島です。

出張セッションに行ってきました!

ご感想をブログに書いて頂いています♪

 

 

 

【今日は大辛です@@】

 

 

自分にだけベクトルが向いている人は、

相手がどう思っているかなんて考えていません。

 

自分がどう思われるか、

自分がどう思っているか、

どうしたら自分が相手に「分かってもらえる」のかだけに焦点を当てています。

 

なので、

小さな嘘も平気で吐くし、

相手への優しさも気遣いも、最初から最後まで、自分の為です。

(自分ではそう思っていない事が多いと思われますが)

 

 

すぐバレるような嘘まで、自分の為に平気で吐きます。

そしてバレていないと思っている。

 

相手の人はこの人が言っている事は嘘が混じっているな、と解る前から、

奇妙な違和感を感じています。

 

なぜなら、言っている事とやっている事が、微妙に違うからです。

 

 

自分の為に、自分のことだけを考えて吐く嘘やつくろい。

 

それで上手くやっているはずなのに、

自分にだけベクトルを向けている人というのは、

幸せではありません。

 

 

「貪る気持ち」というのは、

穴が開いたバケツと同じで、どれだけ注いでも満たされないからです。

 

だからいつまでも足りない、と

大っぴらに、あるいは密かに周りのせいにして、かわいそうな私を演じる。

 

幸せを求めているのに、いつまでもいつまでも、

青い鳥を探しているような気分で満たされません。

 

 

では、

どうやって穴をふさぐのか。

 

それは、

言い訳せずに、吐きそうになりながらも、

今の自分を直視することです。

 

足元に真っ黒な穴が開いて吸い込まれそうなら、

そこにたった一人で、勇気を出して吸い込まれてみること。

 

 

頭で解っていても、行動が伴わなければ、

結局はごまかしの上塗りです。

 

 

そして、

おそらく、

これを読んでやってみようと思える人は、

もう既に乗り越えかけています。

 

そうだね、と思う人は乗り越えている人。

 

腹が立つ人は、そんな自分を、

たぶん、認めたくない人。

 

関係ないなあと思う人は、

バケツに穴が開いてない人か、

穴が開いているまま、見ないようにして一生を終えようとしている人です。

 

 

 

で、恐ろしいことに、

嘘を吐いている自分、言葉でごまかして納得しようとしている自分を、

本当の自分はじっと見ていて、

だんだんと、本当の自分の体力は奪われ、気持ちが腐ってくるんです。

 

 

嘘とごまかすのって、麻薬みたいなもので常習性があります。

嘘やごまかしで得た、つかの間の快楽や快感を幸せだと思って追いかける。

 


その心が、人生の最後に行き着くところが、どのような場所か。

 

ちょっと想像してみて下さい。

 

 

あなたは、どの自分を、どの未来を選択しますか?

 

 


「汚れっちまった悲しみに……」


中原中也

『山羊の歌』より


汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる


汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革裘(かわごろも)

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる


汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

懈怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む


汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気おじけづき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

 

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