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今日もお天気良かった広島です。
【今日は大辛です@@】
自分にだけベクトルが向いている人は、
相手がどう思っているかなんて考えていません。
自分がどう思われるか、
自分がどう思っているか、
どうしたら自分が相手に「分かってもらえる」のかだけに焦点を当てています。
なので、
小さな嘘も平気で吐くし、
相手への優しさも気遣いも、最初から最後まで、自分の為です。
(自分ではそう思っていない事が多いと思われますが)
すぐバレるような嘘まで、自分の為に平気で吐きます。
そしてバレていないと思っている。
相手の人はこの人が言っている事は嘘が混じっているな、と解る前から、
奇妙な違和感を感じています。
なぜなら、言っている事とやっている事が、微妙に違うからです。
自分の為に、自分のことだけを考えて吐く嘘やつくろい。
それで上手くやっているはずなのに、
自分にだけベクトルを向けている人というのは、
幸せではありません。
「貪る気持ち」というのは、
穴が開いたバケツと同じで、どれだけ注いでも満たされないからです。
だからいつまでも足りない、と
大っぴらに、あるいは密かに周りのせいにして、かわいそうな私を演じる。
幸せを求めているのに、いつまでもいつまでも、
青い鳥を探しているような気分で満たされません。
では、
どうやって穴をふさぐのか。
それは、
言い訳せずに、吐きそうになりながらも、
今の自分を直視することです。
足元に真っ黒な穴が開いて吸い込まれそうなら、
そこにたった一人で、勇気を出して吸い込まれてみること。
頭で解っていても、行動が伴わなければ、
結局はごまかしの上塗りです。
そして、
おそらく、
これを読んでやってみようと思える人は、
もう既に乗り越えかけています。
そうだね、と思う人は乗り越えている人。
腹が立つ人は、そんな自分を、
たぶん、認めたくない人。
関係ないなあと思う人は、
バケツに穴が開いてない人か、
穴が開いているまま、見ないようにして一生を終えようとしている人です。
で、恐ろしいことに、
嘘を吐いている自分、言葉でごまかして納得しようとしている自分を、
本当の自分はじっと見ていて、
だんだんと、本当の自分の体力は奪われ、気持ちが腐ってくるんです。
嘘とごまかすのって、麻薬みたいなもので常習性があります。
嘘やごまかしで得た、つかの間の快楽や快感を幸せだと思って追いかける。
その心が、人生の最後に行き着くところが、どのような場所か。
ちょっと想像してみて下さい。
あなたは、どの自分を、どの未来を選択しますか?
「汚れっちまった悲しみに……」
中原中也
『山羊の歌』より
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気おじけづき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
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