先日家族旅行に行ってきたんですが、
ちょっと田舎で自然が多い場所へ足を延ばしました。
そこは、田んぼと山ばかりで、
きっと仕事といえば、農業か、工場勤務か、観光しかない。
第一次産業から第三次産業までまんべんなく揃っているといえば聞こえはいいですが、若者の就職はきっと県外が多いだろうな、という場所。
ある場所では、観光用にきれいなトイレが設置されていたのに、全部「故障のため使えません」と張り紙があり、トイレも全て内側からカギがかけてありました。
箱モノはすごいのに、受付にも誰もいなくて、
なのに草刈りのご年配の方々が、たくさん。
建物のエントランスに無造作に草刈機の円盤の刃をむき出しにしておいてありました。
びっくりしてしまったけど、それが、ここのやり方で、
きっとどれも指示されて、あるいは意識しないでやっている事。
働いている事には、違いない。
その後山の中に入り、遠くの山々を眺めていて、こんな事を思いました。
もし、今石器時代に戻ったら、仕事といえば、まず食料と水の確保。
日がな一日、獲物を探して、木の実や草や実を摘んで、
それで一食満足に食べられたら良い方だろう。
生きるために必死にやるはず。それが仕事だった。
でも今の自分が放り出されたら、生きていけるんだろうか。
昔の価値観でいったら(う、今もか⁈)、全く仕事ができないことになるなあ。なんて。
『人はなんのために働くか』
というのは、色々な意味を含んでいて、人によって意味が違うけれど、
”自分の気持ちや自分の中のモラルに背かない”という前提をもって仕事ができたら、それはとても幸せなことなのだろうな、と獅子座の季節終盤に思ったのでした。
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