スピリチュアルな仕事をする人に必要なもの

満月記事はアメブロに書くので、こちらはふと思ったことを。

 

もう片手で数えて足りないぐらい昔の事ですが、今でもふと思い出すことがあります。

 

お友達に、スピリチュアルな人でいい人がいるから行かない?と言われ、ついていったことがあります。

 

そこに来ている人たちも、主催者の知り合いでスピリチュアルな事を何かしらやっている人が多く「あなたはどうして来たのか」「なにをやっているのか」と根掘り葉掘り聞かれ、着けていたクリスタルのブレスレットを「外してみて」と言われ、「ふーん」と品定めして、持ち主である私に一言もなく、テーブルにポイッと(@_@)

 

この時点で、なんか違う・・・?と思ったものの、お友達がいる手前、いやな顔もできず。(今ならスッと席を立つでしょうが)

 

そして妙齢の主催者の方は、最近仕事を辞めたという私に対して、

「えー、ラッキーじゃん!これから遊んで暮らせるし」

とすっとんきょうな大きな声で仰いました。

 

働きたかったのに、辞めざるを得なかった私としては、唖然として声も出なかったのを覚えています。

もちろん、今思えばそんなに気にせずに笑ってやり過ごせばよかったのですが、その時はかなり、気持ちが参ってたときだったんです。

 

初めて会った人に対して、自分の主観で決めつけて話をする。

相手をよく知らないのに、距離感の無い話し方をする。

 

これがスピリチュアルな事やってる人なんだ・・・と思ってしまったのでした。

 

もちろんそうではない人が多いことも、今は知っているのですが。

 

デリカシーや人に対する礼儀や思いやり、そういったものが欠けているのに、スピリチュアルな事をやっている自分は偉い、自分は物事が判ってる、となってしまう人の心って怖いな、と思うと同時に、楽しいのは大切だけど、気持ちを引き締めてストイックな面が無ければ、スピリチュアルを唱えても程遠いのだとこの出来事は教えてくれたような気がします。

 

求道という言葉があるように、「道」を求める心が無いスピリチュアルはどこか表面的で胡散臭いものだとその時から思うようになりました。

 

今思えば、地に足がついていなかった私に対する、星の神様がいるならばきっとそこからの警告と指導だったのだと思います。

「いつかあなたが占星術やるにしても、このようではダメなんだよ。もっと当たり前のことからできるようになりなさい」と。

 

あの時の自分ではダメだった。

だから、大きく回り道をして、今その時が来たから占星術をさせてもらっているのだと思っています。